[ 感想 ]東京大学医学部附属病院 循環器内科 助教 稲葉俊郎氏が語る「CODA」
映画「Ryuichi Sakamoto: CODA」、六本木の東京国際映画祭にて、プレビューに呼んで頂き観てきました。
まーーーー感動しました。
冒頭にあったアンサンブルでの演奏を聴いて深く強く魂が揺さぶられ、涙が止まらず、その後も涙腺のヒューズが弾け飛んでしまったのか、時に絶妙なタイミングで入る坂本龍一さんのピアノ音にも涙が自然に落ちてくる始末。
この映画は、坂本龍一さんを追ったドキュメンタリーです。 ただ、 坂本龍一さんを紹介して終わる映画なんかではなく、坂本龍一さんという個人を入り口にして、人類と自然との営みや音楽の本質などの普遍へとテーマが掘り下げている(それでいて押しつけがましくない!)素晴らしい映画でした。 個から普遍へ、そして普遍から個へ。
2012年から5年間にわたって密着取材を行なっていますが、YMO時代や映画音楽、そして最新の「Async」まで、、、坂本龍一さんの音楽の旅路を追体験。その構成が最高に素晴らしかった。
人類が生み出したテクノロジーと音楽との新しい関係を切り開いてきたことを含め、坂本龍一さんがいかに音楽シーンの最前線を走り続け、前衛を駆け抜け、それでいて本質からぶれないよう格闘してきたのか、その軌跡がよくわかりました。 改めて、僕ら次の世代が何を受け取り、さらに次の世代へと何を受け渡していくのか、そんなこともふと思いながら観ました。
震災後に、陸前高田で行われたLive映像は強く強く揺さぶられるものでした。心をかきむしられるように。
自分も医療ボランティアで何度も訪れたのでわかりますが、いくらこちらが善意で手伝いに行ったとしても、決して全員が好意的なわけではありません。なぜなら、こちらの善意はただの押し売りや自己満足になってしまうこともあり、現地をかき乱すだけになってしまうこともありうるからです。善意や正義とは、生ものなのです。
いくら坂本龍一さんが来られる演奏だとは言っても、全員が必ずしも好意的ではなかっただろうと思います。現地に住んでいる人たちは、先が見えない不安の中で日々を過ごし、希望よりも絶望が上回って過ごしていた人も少なからずいたはずです。
心に余裕がないときには、人は音楽よりも沈黙を欲することも多いからです。それは意識が自分の外側ではなく自分の内側へと、自分の命の根源へと向いている時期だからでしょう。
そうした現場の張り詰めた緊張感の中で放たれるピアノやアンサンブルの音色には、様々な葛藤や矛盾が、対立した感情が層のように重なって含まれていました。坂本龍一さんも、複雑な表情をしながら、懸命に祈るようにピアノと対峙していました。 そんな映像と音楽を聞いていると、こちらもいてもたってもいられないくらいで、自分が触れたこともないような心の奥底を揺さぶらました。音楽とは何か境界を越えてやってくるものです。
映画では坂本龍一さんの音の探求を静かに丹念に追い続けます。
音を出さざるをえない人類ってなんなのだろうか、人類は自然とどういう関係を結んできたのだろうか、音楽ってそもそもなんなのだろうか、、、、そういう子供のような素朴な問いが浮かんでは消え浮かんでは消え、まるで坂本龍一さんの脳波が同調しているようでした。
映画館で響いた音楽の音色が素晴らしかった! パソコンの画面やDVDで見ても絶対に良さがつたわりません!!
是非とも映画館に足を運んで、音の粒子と波動に包まれながら全身で体感してほしい。そんな映画です。
坂本龍一さんをあまり知らない人にこそ、是非ともみてほしい。(坂本さんを好きな人は間違いなく見るでしょうから。期待以上の体験になると思います。)
上映後、監督のスティーブン・ノムラ・シブルさんとも少しばかりお話しさせていただきましたが、本当に礼儀正しく腰の低い方で、その人間性にも強く惹かれました。
実際、最初の舞台挨拶でも、坂本龍一さんも監督の人柄に負けて、このドキュメンタリーを承認したとおっしゃっていました。
スティーブン監督の控え目で紳士な姿勢は、映画の中にも反映されていました。 何か強い主義主張やイデオロギーを押し付ける映画では決してなく、音楽がわたしたちにそっと寄り添ってきたように、見ている人にそっと寄り添うような優しい映画です。それでいて、根源的な問いと対峙させられるような内容も劇薬のように含まれている映画でした。
そして、この映画は、スティーブン監督による3.11の鎮魂でもあるように思いました。
日本には1945年に二回の原子爆弾が落ち、2011年には福島の原子力発電所が甚大な被害を受けました。 人類が核を生み出した以上、この問題は人類すべてが共有して背負い、乗り越えていくべき重要な課題だと思います。 もちろん、日本は当事者であり、そこを乗り越えないと、わたしたちは先に進めません。心の中に澱のように沈殿しています。
そうした状況の中で、音楽と映像による芸術の力を強く感じる映画でした。 自分が今後生きていくための指針として、多くの勇気やヒントをもらいました。
素晴らしい映画を、スティーブン・ノムラ・シブル監督、ありがとうございます。
ほんとうにみんなに見てほしい!!! しかも、絶対に映画館でこそ!!見てほしい!!!!
そして、みんなと映画のことを語り合いたい!!!
P.S.
映画タイトル「Ryuichi Sakamoto: CODA」の「コーダ (Coda)」とは「楽章終結部」の意味の音楽用語ですが、1983年のアルバムタイトル(超名盤です)にも使われています。
一日一日を人生の終わりであり始まりとして生き切るように、音楽も人生も日々新々に更新されている。
人生に対するステートメントのような響きを持つ言葉ですね。
上映後も、その余韻をかみしめました。
東京大学医学部附属病院 循環器内科 助教
稲葉俊郎
まーーーー感動しました。
冒頭にあったアンサンブルでの演奏を聴いて深く強く魂が揺さぶられ、涙が止まらず、その後も涙腺のヒューズが弾け飛んでしまったのか、時に絶妙なタイミングで入る坂本龍一さんのピアノ音にも涙が自然に落ちてくる始末。
この映画は、坂本龍一さんを追ったドキュメンタリーです。 ただ、 坂本龍一さんを紹介して終わる映画なんかではなく、坂本龍一さんという個人を入り口にして、人類と自然との営みや音楽の本質などの普遍へとテーマが掘り下げている(それでいて押しつけがましくない!)素晴らしい映画でした。 個から普遍へ、そして普遍から個へ。
2012年から5年間にわたって密着取材を行なっていますが、YMO時代や映画音楽、そして最新の「Async」まで、、、坂本龍一さんの音楽の旅路を追体験。その構成が最高に素晴らしかった。
人類が生み出したテクノロジーと音楽との新しい関係を切り開いてきたことを含め、坂本龍一さんがいかに音楽シーンの最前線を走り続け、前衛を駆け抜け、それでいて本質からぶれないよう格闘してきたのか、その軌跡がよくわかりました。 改めて、僕ら次の世代が何を受け取り、さらに次の世代へと何を受け渡していくのか、そんなこともふと思いながら観ました。
震災後に、陸前高田で行われたLive映像は強く強く揺さぶられるものでした。心をかきむしられるように。
自分も医療ボランティアで何度も訪れたのでわかりますが、いくらこちらが善意で手伝いに行ったとしても、決して全員が好意的なわけではありません。なぜなら、こちらの善意はただの押し売りや自己満足になってしまうこともあり、現地をかき乱すだけになってしまうこともありうるからです。善意や正義とは、生ものなのです。
いくら坂本龍一さんが来られる演奏だとは言っても、全員が必ずしも好意的ではなかっただろうと思います。現地に住んでいる人たちは、先が見えない不安の中で日々を過ごし、希望よりも絶望が上回って過ごしていた人も少なからずいたはずです。
心に余裕がないときには、人は音楽よりも沈黙を欲することも多いからです。それは意識が自分の外側ではなく自分の内側へと、自分の命の根源へと向いている時期だからでしょう。
そうした現場の張り詰めた緊張感の中で放たれるピアノやアンサンブルの音色には、様々な葛藤や矛盾が、対立した感情が層のように重なって含まれていました。坂本龍一さんも、複雑な表情をしながら、懸命に祈るようにピアノと対峙していました。 そんな映像と音楽を聞いていると、こちらもいてもたってもいられないくらいで、自分が触れたこともないような心の奥底を揺さぶらました。音楽とは何か境界を越えてやってくるものです。
映画では坂本龍一さんの音の探求を静かに丹念に追い続けます。
音を出さざるをえない人類ってなんなのだろうか、人類は自然とどういう関係を結んできたのだろうか、音楽ってそもそもなんなのだろうか、、、、そういう子供のような素朴な問いが浮かんでは消え浮かんでは消え、まるで坂本龍一さんの脳波が同調しているようでした。
映画館で響いた音楽の音色が素晴らしかった! パソコンの画面やDVDで見ても絶対に良さがつたわりません!!
是非とも映画館に足を運んで、音の粒子と波動に包まれながら全身で体感してほしい。そんな映画です。
坂本龍一さんをあまり知らない人にこそ、是非ともみてほしい。(坂本さんを好きな人は間違いなく見るでしょうから。期待以上の体験になると思います。)
上映後、監督のスティーブン・ノムラ・シブルさんとも少しばかりお話しさせていただきましたが、本当に礼儀正しく腰の低い方で、その人間性にも強く惹かれました。
実際、最初の舞台挨拶でも、坂本龍一さんも監督の人柄に負けて、このドキュメンタリーを承認したとおっしゃっていました。
スティーブン監督の控え目で紳士な姿勢は、映画の中にも反映されていました。 何か強い主義主張やイデオロギーを押し付ける映画では決してなく、音楽がわたしたちにそっと寄り添ってきたように、見ている人にそっと寄り添うような優しい映画です。それでいて、根源的な問いと対峙させられるような内容も劇薬のように含まれている映画でした。
そして、この映画は、スティーブン監督による3.11の鎮魂でもあるように思いました。
日本には1945年に二回の原子爆弾が落ち、2011年には福島の原子力発電所が甚大な被害を受けました。 人類が核を生み出した以上、この問題は人類すべてが共有して背負い、乗り越えていくべき重要な課題だと思います。 もちろん、日本は当事者であり、そこを乗り越えないと、わたしたちは先に進めません。心の中に澱のように沈殿しています。
そうした状況の中で、音楽と映像による芸術の力を強く感じる映画でした。 自分が今後生きていくための指針として、多くの勇気やヒントをもらいました。
素晴らしい映画を、スティーブン・ノムラ・シブル監督、ありがとうございます。
ほんとうにみんなに見てほしい!!! しかも、絶対に映画館でこそ!!見てほしい!!!!
そして、みんなと映画のことを語り合いたい!!!
P.S.
映画タイトル「Ryuichi Sakamoto: CODA」の「コーダ (Coda)」とは「楽章終結部」の意味の音楽用語ですが、1983年のアルバムタイトル(超名盤です)にも使われています。
一日一日を人生の終わりであり始まりとして生き切るように、音楽も人生も日々新々に更新されている。
人生に対するステートメントのような響きを持つ言葉ですね。
上映後も、その余韻をかみしめました。
東京大学医学部附属病院 循環器内科 助教
稲葉俊郎