[ 感想 ]録音エンジニア/ミュージシャン オノ セイゲンが語る「CODA」
最初のマスコミ試写で観た。登場人物は、坂本龍一(以下敬称略)本人のみ。ぼくはフリーランスの録音エンジニアとしてほぼ最初の仕事が『戦場のメリークリスマス』『音楽図鑑』『ラストエンペラー』など録音現場だったので、映画が始まってから終わりまでジェットコースターに乗せられた気分であっという間に若かりし青春時代の記憶に強烈に引き戻されたのだった。そして30年後のリマスタリング、『Year Book』のシリーズ、『async』では京都録音、直近では「Glenn Gould Gathering」(出演:坂本龍一/アルヴァ・ノト+Nilo/クリスチャン・フェネス/フランチェスコ・トリスターノ)のライブ録音とお世話になりっぱなしで、制作現場にいるのでウラの坂本龍一も知っている、なんちゃって(笑)。
80年代、映画には出てこないここだけの話。当時は夜10時にレコーディングが終わるということはなかった。坂本龍一は、スタジオではProphet-5やフェアライトCMIに向かいながら、昼飯は出前の蕎麦や丼ものを5分で流し込み、その日の仕上げにさっとダブミックスを作って、毎晩ではないが(ほぼ毎晩か)インクスティック、ミントバー、レッドシューズあたりへと出かけていく。外に出ると朝8時とか、若かったのでそれは普通に日常だった。周りには、渡辺香津美、山木秀夫、清水靖晃、近藤等則、村上ポンタ、ビル・ラズウェルたち。他にも素晴らしいミュージシャンたち、才能あるエンジニアも居たのに、健康を崩して引退してしまった若い才能は少なくなかったのは事実。たまたま基礎体力があったぼくは今に残った。38度の熱が出てもプールで泳げば治るというのが自慢でやってきた。
六本木インクスティックでの1985年の即興演奏のライブ録音も『Year Book 1985-1989』のDISC 2 [Inkstick Session] で聞くことができる。『ラストエンペラー』の時、ぼくはCASIO FX-760P(BASICでプログラムがかける)で、「MC-4」とタイムコードの相互変換計算プログラムを作ったりした。「ドアが開くカット」に音楽の転換を合わせるには、逆算して4小節前の時間(分、秒=80BIT)とテンポ(BPM)などを割り出す(今ならPro Toolsで考えるまでもないが)、フットワークは軽く、録音以外にも現場でできることは何でもやってみた。
この映画で個人的に衝撃的なのは、坂本龍一が中咽頭がんを診断され「最も死に近づいた瞬間でした。」からの闘病生活を経て復帰、2015年発表の映画『母と暮せば』。実はぼくは、サウンドトラックのミキシングをする予定になっていた。ここで初めて告白するが、大人になって一度も入院したことがないことが自慢だったぼくが、そのタイミングでなんと脳卒中で緊急入院。日本人の3人に1人がガンで、4人に1人が高血圧を起因とする心疾患や脳疾患などが死因だという報告もある。「念のため」の5分とは生死を分けることもある。今まで健康管理を舐めていたな、猛省。ぼくはたまたま本当にラッキーだった。ミキシングはZAKに任せ、右半身不随、車椅子からの奇跡的な完全復帰。3週間目からは医師の勧めもあり、1日3時間くらいは仕事もリハビリのうちということで、病院からバリアフリーでないサイデラ・マスタリングに通いながら『母と暮せば』と今井美樹デビュー30周年『Premium Ivory』のマスタリングを担当したのだった。71日間で退院してすぐ一人で海外出張へ。ぼくが企画したDSDライブストリーミング、ついにワルシャワからのショパン・コンペティションも無事成功。ストイックなリハビリ指導のおかげでプールで1000m泳ぐフォームは以前より良くなっていることにも気づき、入院して初めて自分の健康管理がいかに重要なのかを身をもって体験している。
こどもの頃の1週間や1年は長い。歳をとってくると時間はLogカーブで早く感じるようになる。50歳を過ぎると、どのタイミングで誰と何を食べられるかというのは、つまり食事の一回ずつが真剣に意味を持ってくる。美味しい食事(うす塩、オーガニック、発酵食品)と家族、友人、モチベーションの高い仕事と休息。自分が健康でも好きな店が閉まってしまうことある。150歳まで生きられる人間はいないわけで、 死は誰にでも100%やってくる。80年代に20代だった頃には考えもしない感覚である。残りの人生の選択肢、今は誰と何をやるべきか、答えはこの映画の中にもある。
p.s.
BDパッケージのボーナストラックには、幸宏さんインタビュー(@サイデラ·マスタリング)が収録されてる。その際、ぼくが豆源の詰め合わせが好きなことをどこで調べたのか、昔の日本人のように謙虚、親切、丁寧なスティーブン·シブル監督のドキュメント情報調査能力恐るべし(笑)
- - - - - - - end
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■何回の満月を見られると思いますか?
ポール・ボウルズ/シェルタリングスカイ:「私たちはいつ死ぬか分からない。人生は尽きることにない井戸水と思っているが、すべてのことは数回だけしか起こらない。それはとても少ない。子供の頃のある午後を何回覚えていますか? 人生の一部でさえも何回も思い出せない。おそらく4・5回しかないでしょう。あなたはあと何回の満月を見られると思いますか? おそらく20回ほど。しかし、すべて無限の回数のように見えます」
“Because we don't know when we will die we get to think of life as an inexhaustible well. Yet everything happens only a certain number of times and a very small number really. How many more times will you remember a certain afternoon of your childhood an afternoon that is so deeply a part of your being that you can't even conceive of your life without it? Perhaps four five times more perhaps not even that. How many more times will you watch the full moon rise? Perhaps 20. And yet it all seems limitless.
”==================================== Paul Bowles
80年代、映画には出てこないここだけの話。当時は夜10時にレコーディングが終わるということはなかった。坂本龍一は、スタジオではProphet-5やフェアライトCMIに向かいながら、昼飯は出前の蕎麦や丼ものを5分で流し込み、その日の仕上げにさっとダブミックスを作って、毎晩ではないが(ほぼ毎晩か)インクスティック、ミントバー、レッドシューズあたりへと出かけていく。外に出ると朝8時とか、若かったのでそれは普通に日常だった。周りには、渡辺香津美、山木秀夫、清水靖晃、近藤等則、村上ポンタ、ビル・ラズウェルたち。他にも素晴らしいミュージシャンたち、才能あるエンジニアも居たのに、健康を崩して引退してしまった若い才能は少なくなかったのは事実。たまたま基礎体力があったぼくは今に残った。38度の熱が出てもプールで泳げば治るというのが自慢でやってきた。
六本木インクスティックでの1985年の即興演奏のライブ録音も『Year Book 1985-1989』のDISC 2 [Inkstick Session] で聞くことができる。『ラストエンペラー』の時、ぼくはCASIO FX-760P(BASICでプログラムがかける)で、「MC-4」とタイムコードの相互変換計算プログラムを作ったりした。「ドアが開くカット」に音楽の転換を合わせるには、逆算して4小節前の時間(分、秒=80BIT)とテンポ(BPM)などを割り出す(今ならPro Toolsで考えるまでもないが)、フットワークは軽く、録音以外にも現場でできることは何でもやってみた。
この映画で個人的に衝撃的なのは、坂本龍一が中咽頭がんを診断され「最も死に近づいた瞬間でした。」からの闘病生活を経て復帰、2015年発表の映画『母と暮せば』。実はぼくは、サウンドトラックのミキシングをする予定になっていた。ここで初めて告白するが、大人になって一度も入院したことがないことが自慢だったぼくが、そのタイミングでなんと脳卒中で緊急入院。日本人の3人に1人がガンで、4人に1人が高血圧を起因とする心疾患や脳疾患などが死因だという報告もある。「念のため」の5分とは生死を分けることもある。今まで健康管理を舐めていたな、猛省。ぼくはたまたま本当にラッキーだった。ミキシングはZAKに任せ、右半身不随、車椅子からの奇跡的な完全復帰。3週間目からは医師の勧めもあり、1日3時間くらいは仕事もリハビリのうちということで、病院からバリアフリーでないサイデラ・マスタリングに通いながら『母と暮せば』と今井美樹デビュー30周年『Premium Ivory』のマスタリングを担当したのだった。71日間で退院してすぐ一人で海外出張へ。ぼくが企画したDSDライブストリーミング、ついにワルシャワからのショパン・コンペティションも無事成功。ストイックなリハビリ指導のおかげでプールで1000m泳ぐフォームは以前より良くなっていることにも気づき、入院して初めて自分の健康管理がいかに重要なのかを身をもって体験している。
こどもの頃の1週間や1年は長い。歳をとってくると時間はLogカーブで早く感じるようになる。50歳を過ぎると、どのタイミングで誰と何を食べられるかというのは、つまり食事の一回ずつが真剣に意味を持ってくる。美味しい食事(うす塩、オーガニック、発酵食品)と家族、友人、モチベーションの高い仕事と休息。自分が健康でも好きな店が閉まってしまうことある。150歳まで生きられる人間はいないわけで、 死は誰にでも100%やってくる。80年代に20代だった頃には考えもしない感覚である。残りの人生の選択肢、今は誰と何をやるべきか、答えはこの映画の中にもある。
p.s.
BDパッケージのボーナストラックには、幸宏さんインタビュー(@サイデラ·マスタリング)が収録されてる。その際、ぼくが豆源の詰め合わせが好きなことをどこで調べたのか、昔の日本人のように謙虚、親切、丁寧なスティーブン·シブル監督のドキュメント情報調査能力恐るべし(笑)
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■何回の満月を見られると思いますか?
ポール・ボウルズ/シェルタリングスカイ:「私たちはいつ死ぬか分からない。人生は尽きることにない井戸水と思っているが、すべてのことは数回だけしか起こらない。それはとても少ない。子供の頃のある午後を何回覚えていますか? 人生の一部でさえも何回も思い出せない。おそらく4・5回しかないでしょう。あなたはあと何回の満月を見られると思いますか? おそらく20回ほど。しかし、すべて無限の回数のように見えます」
“Because we don't know when we will die we get to think of life as an inexhaustible well. Yet everything happens only a certain number of times and a very small number really. How many more times will you remember a certain afternoon of your childhood an afternoon that is so deeply a part of your being that you can't even conceive of your life without it? Perhaps four five times more perhaps not even that. How many more times will you watch the full moon rise? Perhaps 20. And yet it all seems limitless.
”==================================== Paul Bowles